五月五日
一瞬、佐山香奈絵は微笑みをもって空を仰ぎ、すぐに地面に向かって嘔吐した。
キュルキュルキュルキュルキュルキュル…
という滑車の音に香川信輝は、ふと窓を見た。
そして、すぐにカーテンを閉めた。見てはいけないモノという本能のサイレンが鳴り響いたからだった。
南辰弥は野球の試合のための足を止めた。
キュルキュルキュルキュルキュルキュル…
という錆びかけの滑車の音と、歌声があまりに楽しげだったから。
すぐに音の方向を見ると、彼の微笑みは恐怖に変わり、泣きだし、家へと走った。
庭で犬の相手をしていた霧島隆二は、犬の頭を撫でながら思わず微笑んでいた。
歌が聞こえる。
精神病の話は聞いていたが、そうか、そこまで良くなったのかという思いがある。
「そら、取ってこい!」
ボールを投げてやると、フンドと名づけられた白い犬は脱兎のごとく、走って行った。 その間に隆二は歌声の方へ目を向ける。
鯉のぼりをあげるポールが空高く光っていた。
隆二は恐怖にねじ曲がった形相で家へ駆け戻り、電話に飛びついた。
「もしもし、警察ですか。川奈さんの家で大変なことが…」
精神病相談員の真山孝子は、嬉しくなっていた。
聞こえてくる歌声は、明らかに川奈さんの声だ。
統合失調症が重度になり、周りの人をすべて敵だと思い込んでいた彼女の歌声が聞こえる。彼女には夫と二人のまだ小さい子供がいるのだが、その家族すら敵意の目で睨むことがあるという。
しかし、この声には明るさがあった。
思わず、アクセルを踏み込む足も強くなる。
窓を開け、空を仰いだ途端、ブレーキを踏み込んだ! とても、平常で運転は出来ないと思ったからだ。
朝に食べたモノが食道を遡ってくる。しかし、眼を反らさずにじっとみた。
そう、たしかに、上から順番に歌の通りだ。
しかし、まさか、すでに、家族も完全に敵と思い込むほどとは考えてもいなかった。
川奈家へ行くのは危険だ。
一度、精神病相談所に戻らないと。
孝子はハンドルをきって、元来た道へ戻りながら、携帯電話で警察へ電話を入れていた。
屋根よーり、たーかーい鯉のぼり
大きな真鯉はお父さん
小さな緋鯉は子供たち
面白そうに泳いでる |