四月十五日。
三島八郎は浴衣の襟をただし、咳払いを一つすると、ようやくパソコンのスイッチに手を伸ばした。
ビックリするようなジャンの音がなり、カリカリとパソコンの中で音がする。
ふと辺りの様子を伺ってしまうが、美代子の帰りはまだのようだ。夕飯のあとに、ビールの買い出しにいかせたから、あと10分は帰っては来ないが、もうガマンは出来なかった。
20時23分。
買ったばかりのノートパソコンの画面を見ると、青々とした山の風景が映し出されている。左に並ぶ小さい絵のうち、『テレビ電話』を矢印で捉えて、なんとか二回クリックする。
突然画面が代わり、真っ暗な画面と共に、電話の呼び出し音とは違う音が聞こえてきた。
もう一度、咳払いをして痰を切っておき、ノートパソコンの上のカメラを微調整する。
黒い画面の右にある小さな画面に、自分が映っているのがわかる。
3度の呼び出し音で、すぐに相手が出た。
晴香の顔だ。
「も、もしもし、というのか」
八郎は気恥ずかしさを感じながら、ノートパソコンに向かって話しかけてみた。
『もしもし、父さん』
晴香の方も少し不安げな表情を浮かべている。
今の科学の限界というのか、少し荒れた画像と、ちょっと声が遅れて聞こえるが、まあ許容範囲だ。
「ああ、父さんだ。そっちの様子はどうだ?」
『もしもし、父さん?』
「そうだ、父さんだ」
音のズレのせいか、いまいち会話がうまくいかない。
『こっちは、順調です。部屋の片づけも済んだし、見る?』
「いや、こっちはお前が元気な姿を…」
晴香はお構いなしに、何やらカメラを取り外すと、部屋の中にぐるっと向けてみる。
「なかなか綺麗な部屋じゃないか」
突然ぐるぐる回りだした画像に目眩を覚えながら、八郎はパソコンに視線を集中させた。
『そっちも問題なく見えてる?』
「ああ、大丈夫だ」
『ミキオの奴、こういうのダケ!うまいから、故障したらまた寄越すよ』
「ま、まあ、変わった奴だったな」
八郎は、まるで電器店の店員のような男を思い出していた。
ジーンズにネルシャツ、ひどく太っている男で、妙に人の目を見ないでしゃべる男だった。
(パソコンどこにつけますか?)
妙に甲高い、接客用語のような言葉づかいも癇に触った。
『よし、じゃあ、テストは終わり』
と、晴香がキーボードを叩くのが見える。
「え、おい、も、もう終わりか? 何か必要なモノはないか? 母さんももうすぐ帰ってくるぞ」
『どこ押したら終わりなんだっけ?』
晴香がパソコンの横を覗き込んでいるのがみえる。
晴香が大きく体を横に振った向こう。
ベッドが見え、パステル調の棚が見え、庭へ出られる大きな窓が見える。
窓の横には棚と色調のカーテンが大きく膨らんでいる。
大きく。
明らかに誰かが潜んでいる。
「晴香!晴香! 後ろを見ろ!」
八郎は必死でパソコンに向かって叫んだ。
『どこだ? どうやったら切れるんだ?』
相変わらずキーボードのあちこちを叩いている晴香。まるで後ろを見る気配はない。
大きく膨らんだカーテンから、男が出てきた。
太った男。
見覚えがある。
あのミキオと名乗った男だ。うちに来た時とまったく同じ格好をしている。
「ミ、ミキオくん! 何してるんだ! ミキオくん」
八郎の声も虚しく、晴香はキーボードから目を離さない。
その背後に近づいてくるミキオ。手にはバットが握られていた。
ゆっくり振り上げられるバット。
「晴香!晴香!後ろだ!アイツがいるぞ!」
『どこだどこだ?』
晴香はマウスを動かしているばかりで、父の声には耳を貸さない。いや、聞こえていないのか?
そう言えば、初めから話は噛み合っていなかったような・・・
「くそ!」
八郎はパソコンから立ち上がると、家の電話の子機を持ってきて、メモリされている晴香の番号を押した。
呼び出し音が、一度、二度、三度、四度、五度…
出ない!
慌てて、そのまま子機を耳に当てたまま、パソコンの前に戻る。
晴香は相変わらず、マウスを動かしている。
電話には気付かないのか? 耳を澄ませるが電話がなっていないようだ。
どういうことなんだ。
晴香の背後にいるミキオは、バットを天井高く振り上げると、晴香の頭に叩きつけた!
ゴシュッ!
モノがぶつかる音というよりも、液体が飛び散る音がして、モニターにも何滴かの血が飛んできた。
まるでボーリングの玉が落ちるように、ゴトンという音とともに晴香の頭がモニターから消える。
「は、は、晴香ぁぁぁぁ! 晴香! 晴香!晴香!」
八郎はただ叫ぶしかなかった。耳に当てた子機からは、相変わらず呼び出し音が鳴り続けている。
そうだ、警察だ!
すぐに子機を切って、警察に電話をした。
「東京の杉並区なんですが、うちの子が大変なんです!」
『ちょっ、ちょっと待ってください。こちらは熊本県警察本部中央司令室になります。東京で事件ですか?』
「パソコンです。パソコンのテレビ電話で、今、娘の晴香が」
『ちょっと待ってください。落ち着いて事情を』
必死で詳細を伝えると、警視庁に連絡を取って住所に向かってくれる事となった。
八郎はすぐに電話を切ってパソコンの前に戻る。
『どこだ?どこだ?』
画面にはマウスを操作する晴香が映っている。
まるで何事もなかったようだ。いや、何事もなかったのか?私の妄想だったのか。
ど、どういうことだ???
その背後に立つミキオが、バットを振り下ろす。
ゴシュッ
飛び散る血飛沫。
脳漿がピンク色の肉片となって、飛び散る。
ッュシゴ
再び天井へもどるバット。
血肉が晴香の頭に吸い込まれ、マウスを操作する晴香。
『どこだ?どこだ?』
再び振り下ろされるバット。
ゴシュッ
天井へと戻るバット。
ッュシゴ
血飛沫がモニターに降りかかる。
モニターから飛び去る血液。
晴香の頭の中に戻る血飛沫。
『どこだ?どこだ?』
マウスを操作する晴香。
背後に迫るミキオ。
バットが振り下ろされ、晴香の頭が破裂する。
ゴシュッ
すぐに元に戻る晴香の頭。
ッュシゴ
『どこだ?どこどこどこどこだ?どこだどこどこどこどこどこだ?』
奇妙なリズムを刻み始める晴香。
「ななななななにがどうなってるんだ?」
八郎は浴衣をはだけ、モニターに眼球を付けんばかりに近づけた。
今、見ているモノが何かわからない。
『どこ』どこ』どこ』どこ』どどどどど』』』』』どこだ????』』?』?』』
リズムに乗って話す晴香と、リズムに乗って飛び散る血飛沫・脳漿。
振り下ろされるバット。振り上げられるバット。振り下ろされるバット。振り下ろされるバット。
血の色が目まぐるしく変わっていき、緑色の血が飛び散ったあと、黄色い脳漿が晴香の頭蓋骨へ戻っていく。青い血がピンクに花咲き、薄灰色の血潮が飛び散り、飛び回る。
頭蓋骨の破片が金色に輝いたと思うと、緑色の肉が骨を覆って、再び頭蓋骨を形成する。
はあああああああああああ
八郎の顎が力無く開き、ヨダレがキーボードへ降り注ぎ、眼球から涙のような体液がダラダラと流れ出る。
その目には、異常な色彩が叩きつけられ、脳髄を犯していく。
「はぁ。ぁぁぁぁるるかぁぁぁ。ぁぁぁ・・・・」
モニターの中で死に続ける晴香。生き返り続ける遥香。
どどどどど』』』』』どこここここどどどどどどこごここここここここどどだだだだだだ』』』』』』』』』』』』』』』』?????????????』』』』』』』』ごごごごごごごどどどどどここここここここだだだだだ???????『『??』』?』?』?『『?』』?』?』』?『『?』?』?『『かごととごごととととととと
一瞬、ノイズが走って画面が切り替わった。
場所は同じ晴香の部屋だが、画面いっぱいにミキオの顔が映っている。
『どうです? お父さん気に入っていただけました?』
モニターの画面がゆっくりと部屋を見渡し、ベッドの上の血まみれの晴香が見える。
『お父さん、オレ、電気屋じゃないんで。映像作家なんで』
「そ…そんな、それじゃ、晴香は……」
『人を電気屋呼ばわりはないっしょ?』
「さっきまでの晴香は……」
『 ちなみに今現在、四月十三日の午後八時なんで。警察呼んでも、晴香さん腐っちゃってるかも』
八郎はモニターに顔を押しつけたまま、口を大きく開けた。
大きく、大きく。
顎の骨がはずれ、唇が裂け、血を噴き出しながら、嗚咽をあげた。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
『それじゃ、バイ』
モニターが真っ黒になり、脳髄を侵された八郎はばったりとそのまま後ろに倒れた。
失禁し、よだれ、涙、耳からは脳漿だろうか、体中の液体を染み出させながら、八郎は絶命していた。
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