土の山

『沢根さんの奥様って、素敵ですよね』
  沢根竜介は振りかぶった金属バットを、思い切り叩きつけた。
  ブルーシートに包まった頭部が明らかに変形する。

『先輩の奥さんって、すっげぇ美人ですね』
  竜介はもう一度バットを振りかぶり、同じ場所に振り下ろす。
  頭部のある辺りが、平たくひしゃげる。

『奥様、お料理学校に通ってらしたんですって?』
  竜介がもう一度バットを叩きつけると、ついには頭らしきモノは完全に潰れてしまった。ブルーシートに包まれた全身がガクンガクンと跳ね上がる

『沢根君の奥さんの料理は素人ばなれしてるな』
  竜介は更にバットを振り下ろす。
  ガクンガクンと跳ね上がり続ける体が、完全に静まるまで。叩いて叩いて叩いて叩いて叩き続けた。
  完全にブルーシートとビニール袋で密封された体からは、肉片一枚、血の一滴すら出ない。
  50回も叩き続けただろうか。ようやく、痙攣が収まり、ブルーシートに包まれた体はただの死体になった。
  荒い息を吐きながら、竜介は静かに言った。
「お、おれが悪いんじゃないからな…、素直に離婚してくれなかった、お前が悪いんだ」

 地図を片手に、田中隆弘は一軒の家の前に立った。
  立派な家だ。
  赤い屋根に、クリーム色の外壁出窓には洒落た観葉植物が見えカーテンも落ち着いたパステルカラーに統一されている。家全体のぐるりを垣根が囲み、どうやら裏手には庭もあるようだ。理想的マイホームという感じが漂っている。
  しかも、住んでいる夫婦がまた理想的だ。
  沢根竜介と、純子夫妻。
  若くして部長補佐に昇進したエリート商社マンと、美人で料理上手との呼び声高い妻。
  しかし、そんな沢根竜介になにが起こったと言うのだろうか。

「沢根のヤツ、これで無断欠勤2カ月だ。電話にも出ん。もうクビになっても文句は言えんぞ」
  馬場部長の怒号が営業部のフロアにこだまする。
「おい、田中、お前、今日仕事いいから様子見てこい」
「あ、はい」
 

  田中隆弘『沢根』と書かれた表札の横のインターフォンを押した。
  ………返事はない。
  もう一度、押してみる。明らかに家の中で、音が鳴っているのは分かる。
  しかし、返事はない。
  田中の脳裏に馬場部長の怒号がよぎる。このまま帰ったのでは、子供の使いだ。
  田中は開きっぱなしの小さな門を抜けて、石畳を踏み、入り口のドアへ向かった。

 ノブを回してみると、すんなりとドアが開く。
  田中は顔だけを中に入れた。
「すいませーん。沢根さーん、田中ですー」
  声をかけてみると、奥でゴトリと音がした。中に居るのだろうか。
  しかし、相変わらず返事はなく、しかも、何かイヤな臭いがする。なんだろうか、空気中に微かに漂う、甘いような苦いような……。
  玄関を入って右手には二階へ続く階段があるが、さきほどの音は左手廊下の先から聞こえたようだ。
  昼間とは言え、電気が消えた家の中は薄暗く、何故か気味が悪い。
  田中は入り口を開けた瞬間から、何かイヤな気配を感じ取っていた。開けてはいけない扉を開けてしまったような…、深夜の墓場に侵入するような…
  

「先輩、上がりますよー」
  田中はイヤな予感を押し殺して、靴を脱いで上がった。
  ふと、足の裏を見ると、ごっそりと埃がこびりついていた。よく見ると、廊下に埃が溜まっている。ここ何日も掃除どころか、人が歩いた様子もない。
  田中は、ふと自分が息を詰めていることに気付いた。何かしら、本能が異常を感じとっているのだろう。

 そっと足音を忍ばせるように廊下を進む。
  さきほどがしたのは、廊下の奥からだった。一つのドアの前を過ぎ、更に奥へと歩いていく。
  田中は思わず眉をしかめた。
  さきほどの微かなイヤな臭いが、どんどん強くなってくる。もう間違いはなかった、これは腐敗臭だ。何かが大量に腐っている
  回れ右をして逃げろ!と、田中の本能が告げていた。
  しかし、部長の顔と、好奇心が彼を奥へ奥へと進めていた。

 廊下の突き当たりに、格子ガラスのドアがあり、半開きになっていた。
  田中は右腕で鼻を押さえながら、そのドアを開けた。

 まず目に飛び込んで来たのは、ダイニングテーブルの上のある大きな土の山だった。
  茶色い土が、テーブルの上に50センチ以上の高さで積み上げられている。
  なんだこれは!
  あまりの場違いな物体に、田中は一瞬自分の眼を疑った。
  そして、次に飛び込んで来たのは、そのテーブルの奥にあるキッチンだった。大量の弁当箱や、皿、どんぶり、が山積みになっており、その中に入っていたであろう食物がすべて腐っていた。灰色の黴と、緑色の黴が覆っており、が十数匹飛び回っている。白く動いているのは、ウジ虫だろう。

「よう、田中…」
  不意に右手から声をかけられた。見ると、ダイニングに隣接したリビングルームの床に老人がへたり込んでいた。
  いや、老人ではない。沢根部長補佐だ。
  あのはつらつとした髪の毛は薄汚れた灰色になり皮膚はひからびてあちこちひび割れている目は白内障のように白く濁り、ぼんやりと中空をさまよっているようだ体は二回りは小さくなっただろう、着ているワイシャツやスラックスがだらりと垂れ下がっている。声をかけられなければ、死んでいると勘違いしたかも知れない。

「さ、沢根さん……」
  あまりの事に、駆け寄る事も出来ず、立ち尽くしたまま田中がそう声をかけた。
「田中…、頼みがある」
  その沢根だった老人が枯れた声でぼそぼそと言った。
「警察に連絡してくれ……、俺は、女房を殺したんだ…」
「ええ!」
  次から次に叩きつけられる非現実感にパニックになりそうだった。
「奥さんって、あの…」
「ああ、純子だ…。二カ月前、俺がバットで殴り殺した。死体は裏庭に埋めてある」
「い、一体なんでまた……」
「飲み屋の女に惚れちまってな、離婚してくれって言ったんだが、聞かなかった。だから、殺した」
「……そんな」
「逮捕してくれ。そうすれば、楽になれるかも知れない。罪を償えば…」
「償う…」
「早く、電話してくれ、頼む」

 携帯から警察に連絡を入れた田中は、ようやく沢根の居るリビングルームに足を踏み入れた。近くで見る沢根は、さらに別人のようで恐ろしくもあった。
「なあ、田中、幽霊って信じるか?」
  突然、ぽつりと沢根が言った。
「いえ、まだ見たことはないんで」
「そうだよなぁ、見ると信じるな。でも、そんなモノは目を閉じちまえば見えなくなるんだよ」

  田中に話しているというより、独白のように沢根は続けた。

「幽霊の声が聞こえたなら、耳をふさげばいい。触ってくるなら、布団でも被っちまえばいい。所詮、視覚・触覚・嗅覚・聴覚なんてモノは防ぎようがあるんだよ。でもな、味覚だけは駄目なんだ。喰わないと生きていられないんだから」

  沢根の白濁した目に、狂気が宿っていた。

「なにを喰ってもアイツのなんだよ。外食しても、コンビニの弁当も、自分で握った握り飯も、水さえもだ。全部、アイツの作る料理のなんだよ!」

  ぎろりと、沢根の目が田中を見つめる。

「だから、この二カ月なにを喰ってたと思う? あれだよ。だよ。アイツを埋めた裏庭の土だけは、ちゃんと土の味がしたんだ!」

 

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