一種異様な雰囲気に包まれていた。
辺りは、土木重機などで地面が掘り返され、土がむき出しになっていた。
その一画だけが、ぽつんと取り残されている。
草が生い茂り、細長い鳥居と小さな祠。
祠には「正一位 稲荷大明神」と彫られていた。
その祠を前に、作業員たちは立ちつくしている。
「ほ、本当にやるんですか?」
「こういう場合って、神主とかに頼んで移転してもらうんじゃ…」
「何かバチが当たりそうで」
現場監督は震えが来るのを押し殺して、怒鳴り声をあげた。
「さっさとぶっ壊せ!やらねぇと、バチよりも怖いクビが待ってっぞ!」
作業員は渋々と動き出し、ついに重機で祠を破壊した。
古い造りのモノだったらしく、ほとんどが木造で、くしゃりと簡単に祠は潰れた。
鳥居もへし折られ、ゴミとして山に積まれた。
現場監督は、苦々しい顔で携帯電話を取り出した。
「社長。やりましたよ」
銀誠建設の社長、林田重三は携帯を耳に当てながら、返事をしていた。
「祠を一個取り壊したくらいで、電話をかけてくるな!」
そう言うなり、返事も聞かずに通話を切った。
「馬鹿馬鹿しい…」
つぶやくと、椅子をくるりと回した。
社長机の背後にある大きな窓からは、大都会東京が見えた。
その大都会の礎を作っているのが、私たち建設業者なのだ。
未来を作るためには、小さな過去など潰してしまわなければならない。
古い迷信などは、その最たるモノだ。
異変が起こり始めたのは、その次の日からだった。
林田重三の、5歳になる孫、重治が夜中に泣き叫ぶのだった。
重三の娘である林田理恵が部屋にかけつけると、重治は引きつったような泣き声を上げていた。
そして、「ワンワンがくる、ワンワンがくるよぉ」と言うのである。
翌朝、重三の耳にも入ったが、「単に怖い夢を見ただけだろう」と取り合わなかった。
しかし、次の日も、その次の日も、重治は夜中に泣き叫び「ワンワンがくる、ワンワンがくるよぉ」と言い続けるのだ。もちろん、家に犬など飼っていない。
理恵は、婿養子である夫の繁雄に相談してみた。
「部屋を換えてみたらどうだろう?」
林田家の屋敷は大きく、部屋は腐るほどある。
さっそく、ベッドを別の部屋に移動させて、次の日からその部屋で寝かせるようにした。
しかし、異変は止まらなかった。
それどころか、悪化してしまったのだ。
夜中に泣き出す重治は、今度は「手が痛い」や「足が痛い」と言いだし、「ワンワンが噛むよぅ、ワンワンが噛むよぅ」と言い出すようになった。
そして、現実に重治の手や足には、うっすらと赤い噛み痕のようなモノが残っていた。
その頃には、繁雄の耳にも、義父の重三がお祓いもなしに稲荷の祠を壊した話が入ってきた。
しかし、婿養子で会社の重役に座らせてもらっている繁雄には、何も言えなかった。
霊媒師を呼ぼうかという話も出たのだが、人一倍世間体を気にする重三がそれを許すはずもない。
それに、繁雄自身も、いまいち「タタリ」などと言うモノを信用していなかった。
第一、祠を壊した作業員や、もしくは現場監督、実際に命令した義父の重三。彼らこそが祟られて当然なはずだ。
なんの罪もない重治に、キツネが憑くはずもない。
繁雄は「とにかく夜中に何が起こっているのか調べよう」と、ビデオカメラを重治の部屋に設置した。
ハードディスク内蔵の12時間以上は楽に録画出来るタイプだ。
これを回しておけば、夜中に何が起きているのか判明するかも知れない。
そして、次の日の夜中。
やはり、重治は大声で泣き叫んだ。
「ワンワンが噛んだ!ワンワンが噛んだ!」
繁雄はすぐに妻の理恵とともに、重治の部屋に飛び込んだ。
そこには手から血を滴らせている重治が居た。
「くそ!」
思わず叫びながら、繁雄はビデオカメラを外し、理恵と二人で液晶画面で夜中の映像を見た。
そこには、四つん這いで孫の手を噛む重三の姿が映っていた。
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