静まり返った住宅街。
夜も7時になるととっぷりと夜闇に沈み、外灯の下にはちらちらと雪が舞っているのが見える。
ホワイトクリスマス。
留美菜は最近小さくなり始めたランドセルを、肩にずり上げながら、てくてくと家に向かって歩いた。
あ、ホワイトクリスマス・イヴか。
学校から塾へ直行して、家に帰る時にはいつもこんな時間になる。
それでも、両親はまだ帰っていない。
二人とも忙しいって。
留美菜は住宅街の一画にある、2階建ての我が家に帰り着いた。
当然、窓からは光りは漏れておらず、玄関も締め切られている。ポケットから鍵を取り出して、いつものようにいつもの場所に鍵をあてがった。
開いてる…
お母さんか、お父さんだろうか…
いや、それなら電気は点いてるはずだし…
留美菜はゆっくりと玄関を開けた。手袋の中からでも、妙に扉が固く冷たく感じる。
家内は真っ暗だった。
「お、おかあさん?」
震える声が、冷たい壁に当たる。
電気のスイッチは奥の壁にあるはず。
留美菜は手袋をはずして、そっと壁に手を沿わせながら奥へと歩いた。
土間の段差でズックを脱いで、ランドセルを足元に置く。手はずっと壁に触れたまま、ゆっくりと奥へと進んでいく。
真っ暗な空間でも、毎日住んでいる家だ。何もかも分かっている。
右手が壁を擦るズルズルという音、あと小さな自分の足音だけが聞こえる。
右手に額縁が触れる。赤い花の絵で、ある日突然お母さんが買ってきたモノだ。右手は額縁の下辺をなぞり、再び壁に触れていく。
もうすぐ。
もうすぐ右手に、お父さんの書斎のドアがあり、その先に突き当たりの壁があって、電気のスイッチがある。
右手で壁に触りながら、左手を前に伸ばして、突然壁にぶつかってしまうのを防ぎながら歩く。
ズルズルズル…と右手で壁を擦る音。
暗闇に伸ばす左手。
と、右手がお父さんの書斎のドアに触れた。
このドアを通り越して、3歩くらいのところで廊下は左に折れている。
右手がドアの間口を触り、そして空を切った。
ドアが開いてる!
留美菜の中に初めてどす黒い恐怖感が沸き起こった。
お父さんは整理整頓好きで、ドアは必ず閉めている。開けっ放しのはずはない。
一度、口の中に湧いたツバを飲み込んで、小さく呼んでみる
「お、お父さん…」
返事はない。
電気を点ければ、全部わかるんだ。
留美菜は右手も左手も伸ばしたままの姿勢で、歩き続けた。
右手にも左手にも触るモノがなく、少し不安だが、大体の位置はわかってい…
右手が人の顔を撫でてしまった。
「ひぃっ!」
思わず手を引っ込める。
今触ったのは絶対人の顔だ。それも男の人。短いヒゲの感触が右手に残っている。
でも、誰?
「お、お父さ…ん…」
返事はない。
誰?
絶対おかしい。
だって、私の右手の高さでヒゲを生やした男の人ってことは、その男の人はわざと顔を触らせるために、暗闇にしゃがんでいたか、顔を前に突き出していたということだ。
サンタクロース…
もう信じてる年齢じゃない。
でも、お父さんか誰かが、こっそり隠れていて私を驚かせようとしてるのかも。
「お、お父さんよ…ね」
返事はない。
そっと右手を伸ばす。
さっき触ったはずの顔がなくなっている!
すぐ近くにいるの?
留美菜は全身の毛が逆立つのを感じた。まるで、レーダーでも張っているように、ぞわりと総毛立った。
ま、まずは電気を点けよう。
そうすれば、全部わかるんだから。
もう壁を触らなくても大体わかる。
留美菜は左手だけを前に伸ばして、そっと歩を進めた。
すぐに壁に触れる。
右手を出して、壁の一画にあるはずのスイッチを探した。
あった。
スイッチを入れる。
電気は点かない。
な、なんで?
突然、周囲の暗闇が敵意を持ったように感じる。
「も、もういいよ、お母さん、隠れてるんでしょ?」
と言ってみるが、返事はない。
「こ、怖いよ…お母さん……」
留美菜は泣きだしそうになりながら、言い続けた。
「お、おかあさん…」
「お母さん…」
「お母さん…」
「お母さん…」
留美菜は幼児返りを起こし、暗闇の中でただただ呼び続けた。
「お母さん…」
「お母さん…」
「お母さん…」
「お母さん…」
「お母さん…」
留美菜は悲鳴を上げて、壁にぶつかりながら、玄関を飛び出して行った。
最後の「お母さん」は、耳元で聞こえた男性の声だったのだ。
1時間後、近所の知り合いの家からの通報で警察が駆けつけた時には、留美菜の家は空き巣に荒されまくった状態だった。その空き巣の最中に帰って来てしまったのだった。
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