名刀

勇治が、その名刀と出逢ったのは、柏河原のススキ原の中でだった。

白々と光るそれは、流木らしく優雅な曲線を描いている。
勇治が持ち上げてみると、非常に軽く、しかし、握った感触は固く頑丈そうだった。

「名刀だ」

勇治は声に出してみた。
最近テレビで覚えた言葉だった。
祖父が見ていた時代劇で、すごくいいカタナのことを「めいとう」と呼んでいたのを覚えていた。
今まで柏河原では何本もの流木を拾ってきたが、これほど少年の心を惹きつけたモノは無かった。
実際に、ススキに向かって振ってみると、ブチブチとススキがちぎれ飛ぶ。 

「名刀…」
噛み締めるようにもう一度言うと、自分の背丈よりもずっと高いススキ原の中へ駆け込んで行った。右に左にと名刀を振り下ろすと、ザッとススキが折れ、またはちぎれていく。
その感触は心地よく、落ち込んでいた気分をすっかり晴らしてくれた。

勇治はイジメを受けていた。
と言っても、実際に殴られたり蹴られたりという事はなかった。まだ小学2年生では、そこまで暴力的なイジメに発展しなかったようだ。
その代わり、目が合えばすぐに強く肩をぶつけて来られた。
給食の順番は常に後ろにおいやられた。
靴が隠されるのは、日常茶飯事だった。

親に泣きつく事は出来なかった。
勇治の両親は、少年に「男の子らしさ」を求めた。それは決して「イジメられること」とは相いれないものだった。
部屋の中で本を読むことを好んだ勇治は、よく母に「外で遊んできなさい」と言われ、黙って一人で外へ出ていく事が多かった。出て行く少年の後ろ姿に、母親のため息が吐きかけられる。

しかし、そのおかげで、名刀と出逢えた。

勇治はススキの中を走り回り、空想の敵たちと斬り合いを楽しんだ。
どんな大男も、俊敏な忍者も、彼の名刀の前にはたちどころに斬って捨てられた。
右へ飛んでは、素早く切り下ろし、左へ飛んでは、敵をなぎ払った。

と、乾いた音と共に、手に衝撃が走った。
名刀が何かに当たった音だ。

見ると、見たこともない一人の少年が笑顔でこちらを見ていた。
手には、勇治の持っている名刀と瓜二つの流木が握られている。
どうやら、思い切り振った名刀を、そのもう一つの名刀で受け止めたようだった。
いつもの癖で、思わず少年から目をそらす勇治。
と、ブランと手にぶら下げた名刀が、カン!と鳴った。
驚いて見ると、少年が自分の名刀で勇治の名刀を軽くはじいたのだった。

名も知らない少年は、名刀を構えて、輝く瞳で勇治の反撃を待っている。

困ったな…
勇治は、自分の名刀を見下ろした。
ちらりと見ると、少年は、エサを待っている小犬のように、濡れた目でこちらを見つめている。
じゃあ、一回だけ…
勇治は名刀を振って、少年の名刀を打った。
すぐに反撃が来て、勇治の名刀が乾いた音を上げる。
さっきより、強い!

ムッとして勇治は、さらに強い力で名刀を振った。
名刀同士が触れ合う瞬間、ひらりと少年が身をかわし、勇治は空振りしていた。
少年は笑いながら、ススキの中へ走り込んでいく。
勇治は思わず後を追った。
卑怯だ!
一回やったら、一回だ。逃げるのはなしだ!

笑い声を追いかけて、ススキの中に入った勇治は、力強く名刀を振った。
ススキが切り開かれ、時々少年の姿が見えるが、なかなか追いつけない。
それどころか、突然、横手のススキから少年が飛び出してきて、名刀を振り下ろしてくることがある。
素早く受ける勇治。
再び、ススキの中へ消える少年。
二人の少年剣士は、ススキの生い茂る戦場を縦横無尽に駆け回った。
二人の名刀がぶつかって音を立てる時があれば、二人が協力して鳥を追い立てる事もあった。
あまり運動の得意でない勇治の全身が悲鳴を上げていたが、それは心地よい痛みとしか感じなかった。        

いつまででも走り続けられる。
勇治はそう実感していた。

しかし、楽しい時間は長くはなかった。
遠くでいつものサイレンの音が聞こえ、ススキが夕日に赤く染まっている事に気づいた。
勇治は、軽やかに走っていた足を止めた。
「帰らなきゃ」
ぽつりと言った。
「え?」
ススキの中から走り出た少年が、驚いたように立ち止まった。

「もう家に帰らなきゃ」
と勇治。
「どうして?」
と少年。
「お母さんやお父さんに怒られる」
「怖いの?」
「うん、怖い」
「僕もお父さんは怖いよ」
少年の目に脅えの色が浮かんだ。
「僕を殴ったり蹴ったりするんだ」
勇治は、少年の悲しみが自分の中に入り込んでくるのを感じた。
「お父さんが、殴るの?」
「うん、すごく痛くするんだ。あと首をしめたりもする」
「お母さんは?」
「…いない」
少年は首をふった。
勇治は悲しくてたまらなくなった。
「じゃ、ボクん家に来なよ」
「それは駄目だよ。それより、もっと遊ぼう!」
今度は勇治が首を振った。
「もう暗くなるし、帰らなきゃ…」
「…そっか…」
「君の家は、この近く?」
少年はうなづくと、名刀を掲げた。河原の横にある白いアパートの3階辺りを指し示した。
「ふうん、あそこに住んでるんだ。じゃあ、明日も来るからさ」
勇治は、少年の悲しさをぬぐい去りたい気持ちで、明るく言った。
少年の悲しさは完全には消えなかったが、笑顔で答えた。
「うん、絶対だよ」
「うん、絶対」
「名刀にちかって」
「うん、名刀にちかって」
二人の剣士は、握手の代わりに、コツンと互いの名刀を合わせた。
こうして見ると、本当にそっくりな二振りの名刀だ。

勇治は飛ぶように帰った。
急いでいた訳じゃなかった。ただ、体中がムズムズするような、痒いようなそんな気分で、力一杯走りたかったのだ。
今なら、この長く伸びる影を振り切れそうな気さえしていた。

家に飛び込むと、勇治は元気よく
「ただいま!」
と叫んだ。男の子らしく。
お母さんもきっと喜んでくれるに違いない。
勇治は、誇らしげに名刀を腰のベルトに挟んだ。

奥からお母さんが出てきた。
「おかえりな−−」
そこまで言って、母の形相が鬼に変わった。
勇治から名刀を取り上げようとする。
勇治は必死に抵抗したが、奥から父親までが出てきて、二人がかりで勇治から名刀を取り上げ、勇治を部屋に閉じ込めてしまった。
「返せ!ぼくの名刀、返せ!」
喉が痛くなるまで泣き叫び、扉を強く叩いたが何かで固定されているらしくビクともしなかった。
そして、そのまま勇治は泣きつかれて、扉の前で眠ってしまった。

「勇治君」
自分を呼ぶ声に、勇治は目を覚ました。
いつの間にか、知らない男の人と父と母が部屋の中にいて、自分を見下ろしている。
すぐに
「名刀は?」
と寝ぼけながらも聞いてみた。
すると、その知らない男の人は、うなづいた。
「うん、それなんだけどね。名刀を見つけた場所を教えてくれないかな?」
「川の横」
「今から、おじさんと行って、ここって教えてくれるかな?」
ちらっと父と母を見ると、うなづいている。
「う、うん、いいよ」

河原に着くと、そこは昼間のように明るかった。
あちこちから巨大なライトが照らし、黄色いテープが色々なところに張り巡らされ、ブルーシートがあちこちに置かれていた。
ススキの中に入り、名刀と出逢った場所を教えると、知らない男の人は誰かに怒鳴り声を上げた。
すぐに、青い制服姿の警察官がスコップを持って現れ、名刀を見つけた場所を掘り始めた。
勇治はびっくりしていたが、すぐに母に抱かれてススキの外へと追い出されてしまった。

あちこちで色々な声が聞こえる。
大きなざわめきで、何を言っているのか聞き取れなかったが、同じ言葉のリズムだけが、耳に入ってくる。
「タイ」という言葉。
その言葉が、あちこちから聞こえてくる。

「ダイタイコツ」
「ギャクタイ」
「シタイ」
そんなような言葉だった。

そのうち、「タイホ」という言葉が向こうから聞こえてきて、見ると、川の横のアパートが明るく照らされ、上着を頭からかぶった人が警察官に両脇を抱えられながら、アパートの階段を降りてきていた。
テレビカメラや、マイクを持った人も来ていて、人だかりが出来ており、その中へと上着を被った人が入っていく。

勇治は、その明るく照らされるアパートや、キラキラ光るカメラのフラッシュを見て綺麗だなぁ、と思いながら母親の腕の中で眠りに落ちて行った。

次の日に、学校から帰るとすぐ河原へ向かった。
名刀は取り戻せなかったけど、あの名も知らない少年に会いたかったのだ。
しかし、夕日が消えるまで待っても、少年は現れなかった。
次の日も、また次の日も、ずっと勇治は待ったが、少年は現れなかった。

ある時、ススキ原の前に、あの少年の写真が置かれていて、その周りを花束やお菓子が置かれているのを見つけた。
写真で見ると、少年はどこか遠い国の人のようだった。
勇治は頬がかゆくなって、こすってみると、濡れていた。
見上げたが、雨は降っていないようだ。赤く染まった空が遠くまで広がっていた。
遠くでサイレンの音がして、勇治は河原を後にした。

 

 

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