私がコートの襟を立てたのは、秋の夜気のためばかりではなかった。
うなじに蜘蛛の糸が貼り付いているような、不気味な雰囲気。
私はバスを降りるなり、素早く通りに目を走らせた。
おかしな影はない。
街を行く人の中には、あの女の姿はなかった。
最近、身近で目撃されるあの女。長いコートに、顔を隠すような大きい帽子、そして、顔の半分を覆うマスク。
私は暗い路地へと入っていった。
コツンコツンと自分のヒールの音だけが、住宅街に響いている。
私のアパートは住宅街の奥、かなり薄暗いところに建っている。
チキチキ……チ…チキチキ……
耳に金属音が聞こえる。
私はポケットの中の手を握りしめた。
素早く周りを見渡すが、おかしな影はなかった。
気にしすぎだと自分に言い聞かせる。
私は暗い路地を抜けて、アパートへと帰り着いた。
アパートとは言っても、かなり高層建物でエレベーターが完備されている。一階にはコインランドリーが24時間開いており、家賃もなかなかの値段だった。
私は夜闇から抜けるようにして、コインランドリーの明かりの横を通り抜けた。すぐに5階のボタンを押すと、音も無く扉がしまる。
チ……チキチキ…チ…キ……
5階で降りてすぐに、自分の部屋に飛び込む。
今日はあの奇妙な女の姿はなかった。いや、元々私を追いかけていた女ではなかったのかも知れない。たまたま近くに住んでいただけ…
さ、そういえば、洗濯物が溜まっていたんだった。
私は帽子を脱ぎ捨てると、衣類の入った洗濯カゴを抱き抱えて、コートのままで部屋を出た。
エレベーターは、誰も乗らなかったらしく、5階で止まったままになっている。
すぐに扉が開き、私はエレベーターへと乗り込み、すぐに1階のボタンを押す。
何階にも止まらずに、エレベーターは1階に到着した。
チ………チキ……チ……
周りを見渡すが、人の気配はない。
私は素早く走ってコインランドリーに飛び込んだ。
明るい蛍光灯の光が体を包んでくれる。
私は一番奥の洗濯機の上に洗濯カゴを乗せて、隣の洗濯機へ次々と洗濯物を放り込んだ。
チ…チチ……チキチ……チ…
ふと蛍光灯の光を遮るモノがあり、私は素早く振り返った。
そこに、あの女が居た。
赤いロングコートに、黒くて大きな帽子、鼻まで隠す大きなマスク。右手がコートのポケットに突っ込まれており、何かを握っているようだ。
「お……ま…え…」
マスクの奥から、石でも擦り合わせているような声が聞こえる。
「そ…こに…ねろ…」
私はじっと帽子の奥の目を見つめた。
「そ……こ…に……ねろ」
「い、いや」
私は震える声でそう答えた。
すると、その不気味な女の右手が一閃した。
私は左頬に激痛を覚えて、思わずその場にしゃがみ込んだ。
「そ…こ…にねねね、ねろ」
その声に、私は左頬を押さえたまま女を見上げた。
女は、帽子とマスクを投げ捨てていた。
そこにいたのは、男だった。
奇妙に白目の大きな不気味な目をしており、黄色い歯が覗く口の周りには無精髭が生えている。
「や…や、やらせろ。いいい一発」
チキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ…
私は、恋人の胸に飛び込むように、男の胸に飛び込んだ。
そして、一気に首を掻き切った。
噴水のように血飛沫を上げる男を後に、私はコインランドリーを出た。
左頬を見ると、皮がぶらりと下がっていた。
また、新しい皮を見つけないと… |