「馬鹿な……」
信次は、そう呟いていた。
たしかに、マキエには顔の皮が無かった。
がしかし、だからと言って、他人の顔の皮を被るなんて事が出来るのだろうか?
でも、美希の必死の叫びが今でも耳にこびりついている。
もう美希は殺されてしまったのだろうか?
警察に連絡を入れて、部屋を確かめに行ってもらっているはずだが、折り返しの連絡はまだない。
時計を見ると、夜中の1時を回っていた。
いつの間にか、美希との電話から2時間近く経っている事になる。
と、ピンポーン。
ドアホンが鳴った。
モニターを見ると、そこには美希が映っていた。
「美希…」
『信次さん、開けて』
「あ、うん」
モニター下のロック解除ボタンを押すと、玄関で開錠される音がガチャリと聞こえた。
すぐに美希が入ってきた。
全身びしょ濡れで、長い髪が顔にへばりついている。
その顔は蒼白で……
そう、まるで、死人のようだ。
「一体、どうしたんだ? さっきの電話は?」
「う、うん。それよりシャワー借りたい。寒くて寒くて」
そう言いながら、シャワールームのドアを開ける美希。
信次の胸中にイヤなものが広がった。
「美希、なんでお前、おれの家知ってるんだ?」
「久美子から聞いて」
「そこがシャワールームって、どうしてわかったんだ?」
「え、だって、間取り的にここでしょ? 大体」
シャワールームのドアが閉まり、シャワーの流れる音が聞こえ始めた。
信次は、居間で慄然としていた。
おかしい。
なにか、おかしい。
友人が殺されたと知らされて、しかも殺人鬼に命を狙われている人間が、取る行動として…… 美希の今の行動は正しいのか?
ふと、玄関からシャワールームに、ぽつん、ぽつんと血が滴り落ちているのに気づいた。
信次は、静かに歩いてキッチンに入り、流しの下から包丁を一本取り出した。
居間に戻り、ソファーのクッションの下に包丁を隠すと、その上に座った。
5分ほどでシャワーの音が止み、シャワールームが開いた。
美希が相変わらず蒼白の顔で出てきた。
顔の周りを隠すように、バスタオルを巻き、濡れていた洋服をまた着ている。
「また、その服着たのか」
「うん」
「血が…、血が床に落ちてるんだけど」
「ああ、うん、窓から飛び下りた時、ガラスで足の裏切っちゃって」
「電話の話だけど…」
「うん」
「マキエが、人の顔の皮をかぶるって……」
「……」
「さっき、そう言ってたよな?」
「…わからない。正直、いま動転してるから」
「久美子の事、聞かないんだな?」
「殺されたって…」
「場所とか、時間とか、気にならないのか?」
「今、頭がパニクってて、落ち着くまでよくわからないんだ」
「両手、なんで後ろに隠してるんだ?」
「両手?」
「ああ、前にだせよ。両手」
「なんで? 別にいいでしょ」
「出せって言ってんだろ!」
「………」
チ……キ……チキ……
「なんだ、この音は?」
信次はソファーの下の包丁を握りしめた。
音は明らかに美希の方から聞こえてくる。
美希の、後ろに回した両手の方から…
そう言えば、美希との最後の電話でも、微かにこの音は聞こえていた。
信次は包丁を握りしめて立ち上がった。
「美希、手を前にだせ。今すぐだ」
「……」
「さもないと…」
信次は、包丁を目の前に出した。
美希の表情はぴくりとも動かない。
まるで蝋人形のようだ。
「早く、手を前にだせ」
チキチキチキチキ……
美希はゆっくりと右手を前に出した。その手にはカッターナイフが握られていた。
チキチキチキチキと刃が伸びる。
「くそ、美希まで!」
叫びざま、信次は包丁を美希の胸に突き刺した。
あっさりと、包丁は柄の部分まで深く突き刺さった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお」
と、怒号のような悲鳴をあげる美希の口。
そして、どさり。とその場に倒れ伏した。
信次は、すぐに美希の右手のカッターナイフを蹴り飛ばし、美希の顔の前にしゃがみ込んだ。
美希の頬を指でつまみ、一気にめくり上げた。
いや、それは不可能だった。
美希の皮膚は、完全に美希のモノだったのだ。
「そ、そんな……お、お前、本当に、美希だったの…か」
呆然とそう言う信次に、美希はコクリとうなづいた。
「あ、あの、カッターナイフは…」
「こ、ここに、来る途中……コンビニ…」
「お、おい………しししし死ぬんじゃないぞ」
しかし、信次の腕の中で、美希はゆっくりと重くなっていった。
|