都立病院の新館、403号室のベッドに横になっている佳織は、深夜2時ちょうどになると目を覚ます。
そして、奇怪な現象を目撃するのだった。
初めて気づいたのは、入院当日だった。
深夜2時に目を覚ました佳織は、部屋の隅に向こうを向いてうずくまっている人を目撃した。個室であるこの病室の隅にうずくまる人影。あきからに、この世のものとは思えなかった。
しかし、その人影はなにをなにをするでもなく、じっとうずくまったままだった。
翌朝、担当看護士であり、親友の美奈に話してみた。
「うーん、ちょっと気味が悪いわね。こっちの新館は去年出来たばかりだから、幽霊とかは出ないと思うんだけど…」
「私もね、寝ぼけてたのかも知れないとは思ってる」
「睡眠導入剤のせいかもね。モノによっては軽い幻覚作用があるモノもあるから。今度、先生にきいてみるわね」
「うん、ありがとう」
佳織は仕事へのプレッシャーと、大きな失恋のショックによって、パニック障害を引き起こしていた。
突然、何もかもが不安になり、その不安から逃れるために死を選択しそうにもなっていた。その時、いち早く気づいて入院を勧めてくれたのが、親友であり、看護士の田辺美奈だった。
すぐに綺麗な個室を用意してもらい、しかも、担当看護士にもなってくれた。
彼女がいなかったら、今頃……
考えるのも恐ろしかった。
しかし、そんな病院で奇怪な現象に遭遇するとは、思いもよらなかった。
次の日には、部屋の隅にうずくまっていた人影が、少しベッドへ近づいてきていた。
白い服を着た背中をこちらに向け、じっとうずくまっている。
ほうっておけば、いつの間にか消えているのだが…
翌夜になると、また近づいているのだった。
毎晩、近づいてくるうずくまった人影。
だが、突然、その人影は出なくなった。
やはり、単なる寝ぼけだったのだろう。
佳織が安心した次の日の夜。
やはり深夜2時ちょうどに目を覚ますと、今度は窓の様子がおかしかった。
締め切られたカーテン。
普段は、そこから、病院前の駐車場のライトがうっすらと透けて見えるのだが、その日はまったくの暗闇だった。
駐車場が停電でも起こしたのだろうか。
佳織は、ベッドから起きて、窓に近寄り、カーテンを開けた。
窓に、びっしりと人の顔が貼り付いていた。
大きな窓に30人以上の男女の顔が、押しつけられているのだ。
恐怖のあまり、悲鳴さえあげることが出来ない佳織。
その前で、顔たちはズルズルズルズルと下へ滑って行った。
全部の顔が滑り落ち、また窓から駐車場のライトが入ってくるようになった時、ようやく佳織は動けるようになった。
恐る恐る窓に近づくと、窓の下に血肉の山が見えた。
恐らく100人近い人間が潰れて出来たであろう山だ。
こんな大勢が一斉に飛び下りたとでも言うのだろうか。
いや、これも幻覚に違いない。
佳織は深呼吸をしてカーテンを閉じると、ベッドへ戻った。
そして、朝が来るまで眠ることなく、夜を過ごした。
翌朝、いつものように白衣姿の美奈が来てくれた。
「どうしたの? 顔が青いけど」
「うん、それが…」
佳織は、昨晩見たモノをすべて話した。
美奈は真剣に悩んでくれた。
「すぐには無理だけど、あと一晩だけ我慢してくれれば、別の部屋を用意させるから」
「いいの?」
「いいの、いいの。新館なら部屋は空いてるんだから。それに環境を換えれば、気分も変わって、変なモノも見なくなるかも知れないしね」
「美奈…、本当にありがとう」
「…なによ改まって」
「美奈が居なかったら、私どうなってたか…」
「ほら、余計な事考えないの。今は、病気を治すことだけに専念しなさい」
美奈はニッコリと笑って、病室を出て行った。
その日の晩。
やはり2時ちょうどに起きた佳織は、天井があまりにも低い事に驚いていた。
ベッドから起き上がろうにも、すぐ顔の前に天井があるのだ。
いや、天井じゃない。
佳織は恐る恐る、その低い天井に触れてみた。
それは人の足の指だった。
足の指が、顔の前の空間を埋めつくしている。
佳織はとっさに手を離した。
すると、足の指がブラーンと大きく揺れた。
足の指がぶら下がっているのではなかった。
天井を埋めつくさんばかりの首吊り死体がぶら下がっているのだ。
喉から血が出るほど悲鳴をあげ、佳織は気絶してしまった。
翌朝、美奈が訪ねてきた時には、佳織はまともに会話も出来ないほど衰弱していた。
なんとか昨晩の事を聞き出した美奈は、思わず佳織の肩を抱きしめていた。
「ごめんね。無理してでも昨日のうちに病室を換えてあげるべきだった」
「う…う、うん」
なんとか返事をする佳織だったが、目は空をさまよっていた。
すぐに美奈は、佳織を乗せたままベッドを移動させ、一階上の508号室へと移動させた。
「ベッドも念のため換えておくわね。気分転換になるだろうから」
「う、うん」
すべてが新しくなった佳織の部屋。
少し気分が落ち着いたようだった。
「み、美奈、本当にありがとう。本当に…」
「何言ってんのよ、水くさい。親友でしょ?」
「うん、ありがとう」
「ほら、早く横になって。余計な事は考えないの」
翌朝、自分のパジャマを引き裂いて作った紐で、佳織は首を吊って死んでいた。
壁には「たすけて」という血文字が書かれ、ナースコールのスイッチとドアノブは血みどろだった。
数人の看護士が集まって話をしていた。
「だれ?新館に入院させたの」
「知らないわよ。ここって墓場の跡に建てられた病棟で、まだ御祓いもしてなかったのよね」
「そうよ、まだナースコールも繋がってないんだから」
「一体、誰がこんな部屋に…」
そんな話をしている数人の看護士の後ろを、一人の看護士が通りすぎた。
美奈だった。
口元に笑みを浮かべながら、楽しげに歩き去っていく。
「佳織、私はね、自分の男にちょっかいだされるのが、何よりも嫌いなんだよ」 |