因習の村

風間君へ


  この手紙を読んでいるということは、君が村へ入って来てしまったことを表すのだろう。郵便配達員も、警察官も信用は出来ない。この手紙が、村の外へ届くことはありえないからだ。
  もし、君がまだ、自由の身でこの手紙を読んでいるのなら、すぐにこの村から脱出することだ。それが叶わないなら…少しでも、苦痛を減らして死ぬことだ。

 この村は、確かに民俗学的に見て、素晴らしい土地だ。
  山脈の峠を越えて、その奥の海岸に面する静かな村。まるで、周りの文明から取り残されているような、この村には大量の民俗学的史料が山ほど残されている。
  海に面した村にありがちな、台風などの被害には奇跡的にあっておらず、そのおかげで史料は保存状態も良く残されている。
  これには、沖に見える古くからある防波堤が大きな役割を果たしているのだろう。さらに、近年に至っては、村にあるコンクリート工場がテトラポッドを作り、津波などから、村を守っているようだ。

 人魚伝説・河童・天狗・大虫など、民俗学的な史料が図書館・役場・資料館などに蓄積されている。
  しかし、一番、この村で代表的な因習と言えば、「まじもの」であろう。
  呪物(まじもの)には、人形を使った物などが多いが、この村では基本的に、贄(にえ)を使うことがほとんどだ。つまり、古代より伝わる自然崇拝の最たるもの。生贄が今でも崇拝されている。基本的に、贄に使うのは「犬」「蛇」「猿」のようだ。

 この村へ着いたばかりの私たち、民俗学チームの5人はまず、村のあちこちを写真に撮って回った。この手紙に付いている巨大な鳥居の写真が「天狗神社」のものだ。さらに贄を行った「はたもん場」。大虫と呼ばれる蛇を使った呪物を行った「汚れ台」。この村を現代まで守り続けた「防波堤」。防波堤には昔の岩の上に、現代の25個ものテトラポッドが数えられるだろう。

 私たち民俗学チームは嬉々として、村を散策して回ったものだ。
  しかし、それは2日ほどだった。
  2日ほど経つと、チームの二人、阿佐ヶ谷君と、霜下さんの二人が消えてしまった。
  村人に尋ねるが「神隠し」としか言ってくれない。しかも警察官も同じ答えだった。
  さらに翌日には、私を残した残りの2人、大森君と、窯外君が「神隠し」にあってしまった。
  この時に、気付けば良かったのだ。
  しかし、私は気付かなかった。
  最後の、今、この手紙を書き始める前まで、まったく気付かなかったのだ。

 風間君へ。もしこの手紙が信じられないのなら、まず沖のテトラポッドの数を数えてほしい。
  私がこの手紙を書いている時点で、29個になっている。
  今、君が沖に30個のテトラポッドを数えたなら、私はこの世に居ない。なんとしてでも、この村から逃げたまえ!

 

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