いじめ1

「あ、えーと、北沢裕太くんのお母さんで?」
「…はい」
  疲れた風な女性はそう頷いた。
  かなり生活臭のする女性で、髪はなんとか整えて来てはいるが、至る部分でほつれ、青く思い詰めた顔つきが、心中を物語っている。

「裕太くんに何か問題でも?」
  私は一応、一年三組の名簿を持って来た。
「まあ、そちらへどうぞ」
  と、ガラスのパーテションで区切られた、簡単な応接室へと通す。
  ソファーを指し示すと、崩れ落ちるようにして女性は座った
  私はパラパラと名簿を繰りながら、反対側に座る。

出席番号8番−北沢裕太
  すぐに思い出していた。
  ああ、あの元気な男の子か。成績は決して悪いという訳ではないが、早とちりが多く、落ち着けばクラスのトップにでもなれる、言ってみれば優秀予備軍といった感じの子だ。

「で、裕太君に何か? 学校の方では何も問題はないようですが…」
「そうですか…」
  しきりと北沢さんはバッグの取っ手をいじり、所在なげにあちらこちらを見渡している。
「なにか、ご家庭の方で問題でも?」
「はい、そうなんです」
  ようやく、そう言いながら北沢さんは、バッグの中から写真を数枚取り出して来た。
  どの写真にも高級そうなマンションの一室が写っているのだが、どれもが無残な姿を晒している。カーテンは引き裂かれ、ソファーは引きずり出された綿が内臓のように見える。床に散らばっているのは花瓶かなにかの残骸であろうか。
「これを全部、裕太くんが?」
「…はい」
「うん、まあ、気にするまでではないですね」
  私の答えに、驚きの目を上げる北沢さん。
「小学校一年生と言えば元気がありあまっていますからね。何かの制約があったりすると、ストレスが爆発してこういう行動に出る事はよくあるんですよ」

「でも…」
「でも?」 
裕太は、こういう行動に出るときに、死ねとか殺してやるとかいう言葉を使うので、怖くて怖くて」
「死ね、ですか…」
「さすがに異常でしょうか?」
「うちには、スクールカウンセラーが居ますので、そちらに相談した方が良いかも知れませんね。 でも、言葉が粗暴になるのは男の子では、よくある事ですので、決しておおげさに考えすぎないように」
「これでもですか?」
  北沢さんが次に出してきたのは、ボロキレだった。
  机の上に綺麗に並べて始めて、それが絵である事が分かった。
  すべて青いクレヨンで描かれたモノで、『ボク』と書かれた所に人間が一人描かれており、その横に『おとうと』と書かれて同じように人間が書かれていた。
  その『おとうと』のたぶん目の位置であろう部分が、ボロボロに引き裂かれていた。
「これを裕太くんが?」
「はい、ハサミの先で何度も何度も、その下のカーペットも床にも穴が空くまで、ずっと突き刺してるんですよ」
「これは…」
「さきほどの、カーテンやソファーも、『純太死ね』『純太殺してやる』って弟の名前を連呼してまして」
  私の中で、何かのサイレンがけたたましく鳴り響いていた。
「これは、ちょっと深刻かも知れません。たしかに生まれてきた赤ん坊に、母親や家族を取られると思って、弟や妹に攻撃をしかけるお子さんもいらっしゃるんです」
「はあ…、なるほど」
「ちょっと待ってください!」
  さきほどからの心のサイレンが鳴りやまない。その理由が掴めた。
「あなたの家では、お父さんが働いていらっしゃるんですよね?」
「はい、私が家事を担当しています」
「そして、今あなたはここに来ていらっしゃいます」

「はい」
「さきほど、放課後で裕太君は家に帰しましたよ」
「はい、知っております」
「こんな話をしている場合じゃないじゃないですか! 裕太君が家に帰ると、弟さんと二人きりになるんですよ。危険です。早く帰ってください!」
「はぁ…」
  北沢さんは、もたもたとバッグの中に写真や、ボロボロの絵を詰め込み始めた。
「そんなものいいから、早く!」
「先生…」
「なんですか」
「あの、家に純太、弟は居ないんですよ」
「へ?」
  私を見つめる北沢さんの目が、白く濁っている事に気付いた。
「どういうことですか?」
「弟は名前だけ付けて、流産で死んでしまったんです」
「………それじゃぁ…」
「裕太は、死んでしまった弟をいじめてるんです」 
  そう言いながら、その女は照れくさそうに笑った。
  私は脅える心で、その女の奇妙な笑みを見つめていた。

 

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