弟の康彦が交通事故で死んだと知らされた瞬間から、母はまるで半狂乱のようになってしまった。
葬式や通夜でもぼんやりとしており、火葬場で焼く時になると、
「康彦はまだ生きてる、まだ生きてる!」
と、棺桶にしがみついて、焼却炉の中へ入れるのを必死で止めるほどだった。
姉である私は、母のそんな姿に耐えられず、棺桶の窓を開けて見せた。
弟の顔に走る傷に縫い目がはっきりと残り、その鼻には綿が詰まっていた。それを見た母親は、がっくりと泣き崩れた。
遺灰になって骨壺に入ってからも、母の様子は変わらなかった。
時折、母の話し声が聞こえると思って見ると、骨壺を抱きしめて、その壺に話しかけていた。父と、私は、時間が解決してくれる事を祈りつつ黙って見ていてやることしか出来なかった。
そうするうち、家事はまだ無理なようだが、それでも少しずつ回復しつつあるのか、時折、隣人の老婆と立ち話をしている風景を目にするようにもなってきた。
老婆の存在は大きかったらしく、ぐんぐんと母の精神状態は安定してきた。
老婆の声は小さく囁くようで、何を話しているのか分からなかったが、母は熱心に耳を傾けていた。
しばらくすると、母は洗濯を始めるようになり、掃除もするようになってきた。
そして、ある日の夕食は久しぶりの母の手料理だった。
長野県出身の母の自慢の手料理は、手打ちの蕎麦だった。
嫁入り道具に持ってきた大きな丸い盆に、そば粉を入れてこねている。
新蕎麦の時期ではないため、そば粉はほんど灰白色といった感じだが、やはりそれでも手打ちはおいしい。
私は、父と目で『安心した』という合図を送った。
蕎麦が打ち上がると、すぐに大鍋で茹でて、丼にいれて、ダシをかけ回す。
「みんな、出来たわよ」
母の声に、私と父が返事をして、ダイニングテーブルにつくと、4杯の蕎麦が出来ていた。
まさか、母はまだ、弟の死を受け入れられていないのだろうか?
家族はもう3人になってしまった事が分からないのだろうか?
不安に父と目配せをすると、突然、母の明るい声がした。
「大丈夫よ。母さん、もう乗り越えたから。今日で四十九日。遺灰もお墓へ納めなくちゃいけないし。これが最後の4人での食事」
「…そうか、そうかそうか…」
父はしんみりと涙をこらえて、湯気を上げる蕎麦を見下ろした。
何も具がない、ただの蕎麦だった。
茶色い汁に蕎麦が沈んでおり、ネギが申し訳程度にそえてある。
精進のつもりなのかもしれない。私と父は、何も言わず手を合わせて「いただきます」と言って、蕎麦をすすった。
しかし、母の打つ蕎麦を食べるのが久しぶりのせいか、若干、いつもと味が違うような気がした。
味というか、風味というか…
「母さん、いつもとちょっと味が違うね」
と父が言った。
「まずい?」
と母。
「いや、決してまずい訳じゃないんだが」
「実は、これを入れたの」
と、母は壺をテーブルの上に置いた。
「それは?」
と私。
母はにっこりと笑いながら答えた。
「うん、隣のお婆さんからいただいた梅干し。その梅酢を少し隠し味に使ったのよ」
母は完全に立ち直ったようだった。
※作者註
この話は、とにかく愛を溢れさせました。
母性愛、夫婦愛、親子愛、隣人愛、これでもかというくらい愛で作られたお話です。
もし、この話を読んで、途中で、禍々しい、恐ろしい想像をしてしまったのなら、その貴方が「ほらほらホラーがやってくる」100話目のオチです。
100話によって、貴方の中に凶気の想像力を作りました。
どうか、想像の中に止め置いてください。決して、行動に走りませぬよう…
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