餌付け

 その山は倶利伽藍岳という名前で、空海が開いたとされているのだが、そんな事は地元の人でも知らないだろう。

 そう考えながら、栗生達夫は、なだらかな上り坂に息を弾ませていた。
  背中には軽めのザックがあり、一応胸にはコンパスがぶら下がっている。
  登山客ともほとんどすれ違わない。
  それも当然だろう。この倶利伽藍岳『登山』というには低すぎ、ハイキングにはちょっと険しすぎる。結局、人の足が入らず、道も出来上がらない、そこらへんに見える小さな山の一つだからだ。
  栗生のような変人登山家くらいしか、こんな山には登らないだろう。

 しかし、こういう山にはこういう山の、良さがある。
  人がほとんど入っていない山には、文字通り手つかずの自然が残り、ともするとニホンカモシカ野猿などにばったり遭遇する事もある。しかし、山が低いおかげでの心配はほとんどいらない。
  そして、なにより楽に山頂を極める事が出来るので、お手軽に達成感が得られるのだ。
 
  ただ、問題なのはほとんど人の足が入っていないので、獣道と登山道の区別が付きにくいのと、登山者用の標識などがなく、迷うことがしばしばある事だ。
  まあ、しかし、一応の地図は持ってきており、コンパスがある。
  低い山だからこれだけ持っていれば、間違っても遭難する心配はなかった。

ふと、栗生は足を止めた。
  人だ。
  登山道を少しそれた木々と下生えの中に、人が座っている。
  餌付けでもしているのか、もぞもぞと体を動かす彼の周りには、野うさぎや、野犬鹿、カラス、小さく動いているのはリスだろうか。とにかく様々な動物たちが、彼の周りに集まっている。

 『彼』と判断したのは、服装からだった。
  グレーの分厚いカーデガンが少し広めの肩を覆い、白髪の頭の上には赤い登山帽が乗っている。遠目からだが、初老の男性と見える。
 
  ただ、少し奇妙なのは…
  時々もそもそと動くくらいで、ほとんど動かない事だった。
  何かおかしい…
  栗生の心のどこかに、小さな恐怖心が転がっていた。

「こんにちは」
  思い切って声をかけてみる。
  男性は顔をあげる事もなく、数匹の小動物が逃げただけだった。
  餌付けに夢中で気付かなかったのだろうか?
 
  栗生は下生えの中に分け入って、さらに男性に近づいた。
「こんにちは」
  男性がうなづく。
  いや、単にエサをやる動作だったのかもしれない。
  また、数匹の小動物が逃げていく。

 野犬がいる事、よりも何かの恐怖心に煽られて栗生はそばにあった手頃な枝を持った。何かが襲いかかってくれば、すぐにでも対応出来るように。

「こんにちは」
  さらに近づく。
  男性はコクコクとうなづいているが、単に餌付けの動作のようだ。
  耳が聞こえないのだろうか。
  二頭いた鹿もとっくに逃げ出してしまっている。
 
「こんにちは」

  さらに近づく。
  男性はしゃがんでいるのではなく、地面に直接座っているようだった。
  野犬がこちらを一瞬睨み付けてから、さっと逃げ出す。

「こんにちは」
  もう、持っている枝を伸ばせば届く距離になった。がしかし、男性はこちらを見ようともしない。
  最後まで残っていたカラスが数羽、バサッという羽音を響かせて飛び上がった。
  その勢いで男性が、コテンと横に倒れた。
  手に握られていた睡眠薬のビンがコロコロと転がり、動物たちの餌になっていた男性の下半身が白々と骨を見せ、ところどころ、骨さえ削られ骨髄までしゃぶり取られていた

 

 

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