「みひろ。っておい」
木場真由美は、バッグと部屋の鍵を持ったまま、玄関口で崩れ落ちた。
真由美の部屋は八畳の洋室で、真由美が『人生の至福の時』と呼ぶ睡眠の時間にだけ、お金がかけられていた。
玄関の右手には小さなキッチン。その奥にこれも小さな化粧台があって、あまりお金のかかっていない化粧品が並んでいる。
左手には食器棚一つ。部屋の中央には座卓。
そして、部屋の奥にはベッドが鎮座している。さすがにシングルサイズではあるが、かなり無理をして高額の羽毛布団を購入してあり、枕もテンピュール製のモノだ。
そこに、高坂みひろが横になって寝息を立てているのだ。
ゆったりふかふかの羽毛布団を、胸までまくり上げて、ふかふかを二倍にしている!
そのせいで、足先までは足りなくなったらしく、にょっきり布団から足首が出ている。
「おいおい、バイト終わりまで待っててとは言ったけどさぁ、そこで寝ろとは言ってないでしょ」
しかし、あまりに気持ち良さそうな、みひろの寝顔に起こす気にもなれない。
すやすやと聞こえる寝息。
それを完全吸収してふかふかと微動だにしない羽毛布団。
布団から飛び出した足首。
かさかさのカカトが、不潔に見える!
真由美はわざと大げさにため息をついて、バッグを投げ出した。
震える……。
恐怖で声が震えてしまう…
気付かれないように静かに息を吸い、平然を装って言葉を吐き出す。
「し、しょうがないな、私このまま梨子の家に行くから」
声がどうしても震えてしまう。
パニックになりそうな頭で、携帯を取り出すと、何事もないように『110』を押す。
『はい、110番です』
女性の声が整然と聞こえる。
「あ、り、梨子、私」
声がどうしても震えてしまう。しかし、その声の震えを察知してくれたのか、電話の向こうの婦人警官が話をしてくれる。
『なにかありましたか、言える範囲で』
「わたし…、わたし? まだ中野区の自分のアパートよ。そう、小出アパート」
『中野区の小出アパート、場所はわかりました。急行した方が良いですか?』
「う、うん、絶対そう思う…」
『分かりました。急行します』
「うん、ありがと」
『ところで、なにが起こってるのか、少しでも説明できませんか?』
真由美は玄関に崩れ落ちたままの格好で、ベッドのみひろをもう一度見た。
この距離なら、少しくらいささやき声で喋っても聞こえないだろう。
真由美は意を決して、状況を説明した。
「わ、わたしのベッドに友達が仰向けで寝て、反対側から足が出ているんですが…」
『はい』
「出ている足のかかとの方が上なんです。これって別人の足ですよね」
駆けつけた警官隊によって、布団の中の男は引きずり出された。
その手には包丁が握られており、警官隊の拳銃を見るまで放そうとはしなかった。
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