ぞくり。
笹塚は奇妙な悪寒に襲われていた。
家だ。
この家に入って来てからずっと、この妙な不安感というか、寒気というか、嫌な雰囲気に襲われていた。
家というモノに感情があるならば、この家には悪意だけが存在しているという、感覚。 恐怖とも言える。
何が、私を脅えさせるのだろう。
見回すリビングには、異様にカラーボックスが目につく。ホームセンターで千円程度で売っている、あのカラーボックスがリビングをぐるりと囲むように並んでいる。
しかし、それだけが恐怖の原因とは思えない。
「今日はなにか?」
テーブルの向こうの木下裕子が、抑揚のない声でそう聞いてくる。
「ええ、保険金支払いの手続きと、あと質問を幾つか」
「質問?」
「まあ、はい、特殊な案件ですので、いくつか口頭での質問を」
「特殊なんですか」
「か、かなり特殊ですね」
笹塚は思わず声を詰まらせそうになりながら、テーブルの向こうの女、木下裕子の顔を見つめていた。
これが我が子を亡くしたばかりの母親の顔だろうか。
女の目からは、なんの感情も読み取れない。
淡々と作業をこなしていく顔。
笹塚は再び、得体の知れない恐怖感に身震いをしていた。
木下卓志くん(5歳)が亡くなったのは、先月の事だった。
これ以上ないほどの完璧な事故死だった。
母親の木下裕子がスーパーに買い物に出たときに、卓志くんがハサミで遊んでいて転んで目を突き刺したのだ。ハサミは眼球を貫通し、脳にまで達し、ほぼ即死だったという。
一応、警察の捜査も入ったそうだが、床に残った皮脂跡から卓志くんが自分でけつまずいて転んだのは明白で、事件性はゼロとのことだった。
警察が入ったからには、笹塚のような保険調査員の出る幕はなかった。
警察よりも深い調査が出来るはずもなく、警察より送られた調書に目を通して、完全な事故である事を確認して、保険金の支払い手続きを済ませるだけだった。
しかし……
なにかが、笹塚の背中の毛を逆立てていた。
「簡単な質問を少し」
「はあ、そうですか」
不満そうな表情をありありと浮かべて見せる木下裕子。
「まず、再婚なさるそうで」
「ええ、来月の予定です」
「延期はなさらないのですか?」
「え、なぜですか?」
「え? だってお子さんを亡くしたばかりですから…」
一瞬、声を詰まらせる笹塚。
テーブルの向こうの裕子は、本当に不思議そうに小首をかしげている。
「予定は替えませんわ。招待状もたくさん出してしまいましたから」
「お相手はかなりの資産家の方らしいですね」
「ええ、お金には苦労していないタイプの方ですね」
「玉の輿というヤツですね」
「まあ、そうでしょうか」
「そして、邪魔な卓志くんも居なくなった…」
木下裕子の目が一瞬変わった。なにか恐怖の根源を覗き見たような気がする。
「事故でしたの。警察からお聞きになったでしょ?」
「ええ、聞きました」
「それなら、変なことを聞かないでください」
「いえ、これが保険調査員の悲しいサガとでも申しましょうか」
「さっさと質問を終わらせてくださいませんか?」
「そうですね」
改めて、心を落ち着けてリビングを見渡す笹塚。テレビ、食器棚、それら以外の家具はすべてカラーボックス。
「ずいぶん簡単な家具が多いようですが」
「ええ、まあ」
「来月ご結婚の予定なら、早く片づけなくては」
「いえ、こんな家具ばかりですから、全部捨てていこうと思っております」
「ああ、あちらは資産家でいらっしゃるから」
「まあ、はい」
「あ、卓志くんにお焼香させてもらっても構いませんか?」
「ええ、どうぞ、隣の部屋ですので」
笹塚は立ち上がってリビングの隣の和室へと通った。
暗い和室の奥に、申し訳程度の祭壇が置かれ、線香がぽつんと赤く灯っている。
写真などはなく、ただお骨と位牌があるだけの簡素なモノだった。
「お母さん、写真とかは?」
和室の入り口で振り向いた笹塚の手が、カラーボックスの一つに当たり、ことり。と中のモノを落としてしまった。
「あ、申し訳ありません」
咄嗟に謝って、その場にしゃがむ笹塚。
落ちたモノは、頭痛薬のビンだった。
ふと、そのビンの注意書きに目をやる。
『小さなお子さんの手の届かない場所に置いてください』
しゃがんだままで笹塚は、さっとリビングを見渡した。
、カラーボックスがずらりと並び、 笹塚の視線の高さに異常な数のハサミやボールペン、薬などが並んでいた。
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