「変なのが飛んでるよ…」
明美ちゃんが奇妙な事を言い出したのは、これが最初の言葉だった。
明美ちゃんと私は、いとこ同士にあたる。
小学校1年生の明美ちゃんの父親が、高校2年生である私の父親と兄弟なのだ。
しかし、明美ちゃんは家族旅行の最中に、酔っぱらい運転の対向車と正面衝突をして、ご両親を亡くし、うちの家で預かる事になったのだった。
当然の事だろう、最初は塞ぎがちだった明美ちゃんだったが、最近は徐々に口数も増えて、笑顔も見せてくれるようになった。
奇妙な事を言い出したのは、そんな矢先の事だった。
「お空に光が飛んでるの」
明美ちゃんは、小さいながらも自分の部屋を与えられており、その窓からよく夜空を見上げているのだが、その夜空に光が飛び回るというのだ。
「え、本当に?」
半信半疑で一緒に窓を覗いてみるのだが、そんな光は見えない。きっと、部屋の電灯が反射したのではないかと、その時は考えていた。
そのうち、
「光がおうちに入ってきた!」
と脅えた様子で、明美ちゃんが私の脚にしがみついてきた。
話を聞くと、『光』をよく見ようと窓を開けたら、その『光』が急に方向を変えて部屋に飛び込んできたのだという。
両親共働きで帰りの遅い我が家では、私が明美ちゃんの母代わりだ。
すぐに明美ちゃんの部屋に入って様子を見るが、何も変わった事はない。
小さな勉強机に赤いランドセル、ベッド、ぬいぐるみ、いつもの明美ちゃんの部屋だ。
「大丈夫だよ。どっかに飛んで行っちゃったんだよ」
私はしゃがんで、明美ちゃんと視線の位置を合わせると笑顔で答えた。
「本当?」
「本当」
私は安心させるように言うと、明美ちゃんは納得したように笑顔を見せた。
しかし、異変はその日の深夜から起こった。
深夜も2時を回り、明美ちゃんの向かいにある自室で眠っている私の耳に、ドアを叩く音が聞こえ、目を覚ました。
「お、おねえちゃん開けて」
驚いてドアを開けると、パジャマ姿の明美ちゃんが脚にしがみついてくる。
「どうしたの?」
「お部屋に、黒い人が二人いるの」
「黒い人?」
まさか、とは思ったがすぐに明美ちゃんの部屋に入る。がしかし、やはり何事もない。
「今もいる?」
と尋ねると、明美ちゃんは首を横に振る。が、その手はしっかりと私のパジャマの裾つかんで離さない。
「夢でも見たのかなぁ?」
私は、なるべく明美ちゃんの言葉を否定しないように気をつけて話した。
明美ちゃんも何かをしっかり考えているようで、じっと部屋の隅を見つめている。
「どうしたの?」
一階の方から母の声が聞こえる。
「ううん、なんでもない」
夜遅くまで働く両親に心配はかけられない。それに私が母親代わりになると決めたのだ。母を頼る訳にはいかなかった。
「お姉ちゃんと一緒に寝ようか」
そう声をかけると、ほっと安心したように大きくうなづく明美ちゃん。
その夜は、明美ちゃんは私の胸の中で、子猫のように丸くなって眠った。
高校の教室で、親友の泉美にそんな話をしてみた。
「それって、MIBなんじゃないの?」
「MIB?」
「メン・イン・ブラック。UFOを目撃した人の前に現れて、その人をどこかへ連れ去ってしまうのよ」
「そんな、都市伝説でしょ?」
「でも、全身黒づくめなんて、まるっきりMIBって感じだけど」
「それって、対処法とかあるの?」
「うーん、UFOの写真とかを撮ってたなら、それを渡せば帰ってくれるとか言うけど…」
「でも、明美ちゃん、見ただけだよ」
「その場合は、連れ去られるかも…」
「そんな…」
両親を失った上に、そんな理不尽な話があるだろうか。私は明美ちゃんを守る決意を固くした。
夜、私と明美ちゃんはドアを開けっ放しで眠る事にした。
いつでも、明美ちゃんが私の部屋に駆け込んで来られるようにだ。
すると、毎晩、明美ちゃんは私のベッドに駆け込んできた。
「黒い人が二人、ベッドを見下ろしてた」
「黒い人が二人、部屋の中をぐるぐる回っていた」
「黒い人が二人、顔がくっつくくらいまで近寄ってきた」
明美ちゃんは恐怖のあまりに、私の胸の中で毎晩ガタガタと震えた。
そのうち、明美ちゃんは私の部屋にも、黒い二人組が入ってきたと言い出した。
私は必死で明美ちゃんを抱きしめ、部屋の隅々に目を凝らした。が、私には黒い二人組が見えない。
胸の中でガクガクと震える明美ちゃんが可哀相でたまらなかった。
しかし、事態はさらに悪化していった。
夜だけではなくなったのだ。
集団下校の時に追いかけられたり、小学校の教室に現れたり、疲れてしまって保健室で寝ている時にもベッドを覗き込んでくるという。
もう明美ちゃんは、私のそばから離れる事が出来なくなり、私もしばらく高校を休むことにした。
次々と色々な場所に出没する黒い二人組。
もう、私一人の力では限界だった。
かと言って両親に心労をかけたくはない。私は祖母に相談してみる事にした。
すると、すぐに田舎から祖母がやってきてくれた。
片手に数珠を持ち、私の部屋に入ってくるなり、明美ちゃんに尋ねた。
「今はいるかい?」
明美ちゃんは、コクコクとうなずいて部屋の隅を指差した。
やはり私には見えない。
祖母は数珠を両手でこねるようにして、『南無妙法蓮華経』と一言だけ唱えた。
途端に、明美ちゃんの声が明るく響いた。
「消えた! 黒いの消えた!」
私はあまりの呆気なさに、へなへなとベッドに崩れ落ちた。
何事もなかったように祖母は田舎へ帰り、それから明美ちゃんの前に黒い二人組が現れることはなくなった。
私は黒い二人組がなんなのか知りたくて、ある日、祖母に電話をかけた。
すると、悲しそうな声で答えが返ってきた。
「明美ちゃんの両親はよぅ、衝突で死んだんじゃなくて、その後のガソリンの引火で死んだんだ。まーっくろに燃えてたそうじゃよぅ。きっと、明美ちゃんが心配だったんじゃろうよぅ」 |